※今日まで毎日ブログを更新してきました。今回の150回目の投稿を一つの区切りとして、しばらくの間お休みをしようと思います。これまで、ありがとうございました。また再開するのを楽しみに待っていただけると、私も嬉しいです。では、また!
私が会社を辞める際、有り難いことに多くの人たちが「辞めるなよ」「もったいない」と引き留めてくれました。
一方で「許されると思うなよ」と脅すような言葉を投げかけてくる人もいました。私の身勝手で一方的な行動なので、そう言われても仕方がないのですが…。
「教員になる」と、強い志をもって行動を起こした私でしたが、何だか大学時代の就職活動を再開したような気持ちになりました。言うまでもなく、転職するということはまた新たに就職することであり、あの大学時代のことを思い出したからです。
また、転職は思っていたよりずっと大変でした。気持ちが後ろ向きになるようなことがいっぱいありました。
まず、各都道府県の教員採用試験に年齢制限があったことです。私自身は、「採用してくれるところがあれば、日本全国どこへでも行く」というつもりでした。
ところが、47都道府県のほとんどが「教員をスタートする時点で29歳まで」という、厳しい受験年齢枠を設けていたのです。私はすでに29歳…残念ながら、受験資格すらなかったのです。
ただし、近年になりその年齢制限をなくしたという県を2つ見つけました。その1つに地元の県がありました。また、その2県の教員採用試験の日が全く同じでした。
私は、地の利を生かすとともに、合格のしやすさを考え、地元(地方の田舎)で教師を目指すことに決めました。
また、その頃はどの県も教員採用試験の倍率がとても高く、教員になるのがたいへん厳しい状況でした。中学・高校の体育教員の採用枠は特に狭く、私にはほぼ可能性がないということも分かりました。
そのため、小学校教員の方に軌道修正をし、受験することにしました。ただ、それにはまた問題がありました。
実は私は中学・高校の教員免許は持っていましたが、小学校の免許を持っていなかったのです。大学時代に比較的容易に取得できたにも関わらず、アルバイトなどに明け暮れるあまり、取得することを自ら放棄したのでした。
これも大きな失敗だったと思いましたが、後の祭りでした。
私は、ある大学の通信制を利用して、小学校教員免許を取ることにしました。レポートの提出がかなり多く、結構大変だったことを覚えています。そうやって何とか小学校免許を取ることができました。
そんなこんなで、私は実家に住まわせてもらい、短期の臨時講師やアルバイトをしながら免許取得や採用試験のための勉強をし、受験しました。
残念ながら、最初の年は不合格でした。結果的には、2年目に合格しました。
実家の両親にはたくさんの迷惑と心配をかけましたが、合格して本当に嬉しかったことを覚えています。
こうして、意気揚々と教師人生をスタートさせることになる私ですが、この後のさらに大変な状況は、プロフィールに書いたとおりです。お読みいただければ、幸いです。
結局、思い話のような内容になりましたが、何を言いたかったかというと…私もそうでしたが、こうした様々な失敗や経験を通して人は成長していくということです。
私はこうした失敗や経験から、本当に多くのことを学んできたと思っています。(他の人よりも失敗が多すぎるかもしれませんが…笑)
それから、この失敗と経験をその後に生かすことが何よりも大切であるということです。
昨今、多くの若手教師が初任の内に教職を辞めていきます。早い人で1ヶ月という人もいます。これは、本当に残念なことです。
本人の問題やタイミング、人間関係などいろいろな理由があるでしょうが、周囲がもう少し何か行動することで回避できる場合があるようにも思います。
もちろん、適正のない人がいつまでも教師に拘る必要はないと思います。その方が本人や学校にとって、お互いベターなこともあるでしょう。
教師という職業に早めに見切りをつけ、その人にもっと相応しい仕事に早く就く方がよいことなのかもしれません。ただ私は、なぜか単純に割り切れない気持ちになるのです。
教師になった人は、きっと熱い思いや志をもって、その道を歩んできた人が多いと思います。
その道のりの過程で、いろいろな失敗と経験をしてこられたことでしょう。
だから、それをぜひとも教師として生かしてほしいのです。最後までやり遂げてほしいと思うのです。
それが、私が若手教師に心から送りたいエールです。