149 一人前の教師になるために…③

 結局私は、その会社には29歳まで勤めました。

 会社も社員も若く、エネルギッシュでパワーのある職場が、私はとても好きでした。楽しい期間を過ごさせてもらったと今でも思っています。

 また、新入社員として最初に配属になったのは、千葉県のある店舗でした。スイミングスクールと体操スクールの2つのセクションからなる小規模店舗で、私はスイミングセクションの配属となり、スイミングコーチとして働きました。

 そして、そこで私の人生の転機となる、ある子供に出会います。

 S児という年中の子でした。火・金曜日の週2回スイミングスクールに通ってきていた子でした。いつも明るくにこにこしていて、とにかく笑顔の似合う元気な男の子でした。

 私は彼に会うと、なぜか元気が出て「よし、頑張ろう!」という気持ちになるのでした。

 S児は、「顔付け」や「バタ足」はいつも満面の笑顔で、元気いっぱいに取り組むのに、「飛び込み」になると急にへっぴり腰になり、手足は震え、おどおどとした別人になるのでした。

(※飛び込み:プールサイドに立ち、足からドボンと水の中に飛び込み、頭のてっぺんまで水につかった後、そのまま泳いでプールサイドまで戻るという練習)

 私がS児のグループを担当している半年ぐらいの間、彼が飛び込みに成功したのは、たったの2回でした。

 その飛び込みができないだけでなかなか進級できずにいたS児を、私は「なんとか進級させてやりたい、S児の喜ぶ笑顔が見たい」と思い、私なりに工夫しながら教えました。

 しかし、思いは叶いませんでした。

 しばらくして、グループ担当コーチのローテーションの時期が来て、私はそのグループの担当を離れることになってしまったのです。

 S児は、その後も飛び込みができるようにはならず、進級することもなく、そして小学生になる前に退会していってしまいました。

 そのとき、私が強く思ったのは「同じ子供たちの成長をそばで見続けたい」でした。(そのスイミングスクールでは、毎日200~400名ほどの子供たちが毎時間、入れ替わり立ち替わりプールにやってきました。担当のコーチも定期的に入れ替わるなど、まさに目の前の子供たちに、ひたすら指導をこなすという感じでした)

 私は、「自分の思いを達成するには、学校の先生になるしかない」と、心の底から教師になりたいという思いを抱きました。

 

 しかし、すぐに会社を辞めることはしませんでした。まだまだその会社で学びたいことがたくさんあったからです。

 現場で2年間過ごした後、私は東京本社に異動になりました。あの朝のラッシュアワーこそ死ぬほど嫌でしたが、充実した期間を過ごしました。

 そして、私は「20代で会社を辞めて、教員を目指す」という、あの日から考えていた行動を起こしたのです。

★最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ応援クリックをお願いします!
★最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ応援クリックをお願いします!
学校教育
遊ぼう先生をフォローする
タイトルとURLをコピーしました