148 一人前の教師になるために…②

 クラスの状態を総点検するつもりで、改めて「子供一人一人をよく見る」「クラス全体の空気を感じ取る」ことを伝えました。

 また、失敗や経験を多く積み重ね、そこから学んだ失敗や経験を今後に生かす」ことも書きました。

 「失敗や経験を今後に生かす」ということで、今回は私個人をより知っていただこうと思い、自身の若い時の失敗や経験について書きたいと思います。お付き合いください。

 まず私は失敗が多いというより、失敗だらけの人生だと自分では思っています。ただ、その数多くの失敗こそが今の私をつくってきた、とも思っています。

 例えば、高校受験は何とか乗り切り、志望校に入学できましたが、大学受験では見事に失敗しました。恥ずかしい限りですが、その時は「世界で一番不幸なのは俺だ…」ぐらいに感じ、とことんへこみ、挫折感を味わったのを覚えています。

 そして、1浪後に入った大学では、2年生の時に留年しました。

 毎日野球部の練習後、午後8時から午前2時まで飲食店でウェイターのアルバイトをし、キャンパスに行くのはいつも午後からという日々を送っていました。(あの頃の時給は、なんと600円だったことを思い出します)

 こんな生活をしていれば、留年するのも当然かもしれませんね。

 将来は教師になろうと思っていたので、大学は教育学部でした。教育実習に行き、教師になりたいという気持ちも高まっていました。

 しかし、大学3年生の終わり頃になって「このまま先生になった時の自分の人生は見えている。それでいいのか…」と考えるようになりました。

 教師になって定年まで勤めることに、自分の人生が見えてしまったように感じたのです。こういう時の私は、どうも「つまらないなあ…」と感じるようです。

 先が見えないことの方がワクワクするというか、人と違うことをしたいという思いが強い人間のように思います。(全てにおいてではないですが、あまのじゃくです)

 それからは、「もっといろいろな世界のことを知りたい。自分の視野や経験を広げたい」という気持ちがどんどん大きくなっていきました。

 結局、私は教員になることをやめ、一般企業に就職することを選びました。

 当時、同じ体育の専門課程に通う同級生50名のほとんどが教員採用試験に向け、必死に勉強している中、私一人だけが脇目も振らず就職活動にいそしんでいました。

 周囲からは「教員採用試験を受けるだけでも受けてみれば?」と言われましたが、耳を貸しませんでした。(頑固です)

 当時はハローページ(電話帳)よりも分厚い、幅3cm以上あるリクルートブック(冊子)を脇に抱えながら、入りたい業界についていろいろと調べました。

 そして、最終的に「大好きなスポーツで人と関わることができる」フィットネス業界に決めました。(その頃は、施設名が「スポーツクラブ」から「フィットネスクラブ」と呼び方が変わっていった時期でした)

 3つの会社を受け、2つの会社から内定をもらい、1社は落ちました。

 どちらの会社にするかでかなり迷いましたが、考えた末に業界最大手の会社に就職することに決めました。(当時、全国に104店舗を抱える大きな会社でしたが、私が辞めた数年後に別のスポーツ関連企業に買収されました)

 こうして私は、社会人としての第一歩を意気揚々と踏み出しました。

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