6 「失敗に学ぶ」こと

 今回は、「失敗に学ぶ」という話をします。

 あなたは、「教育には、失敗があってはならない」と言われたことはありませんか?

 私はあります。教師1年目のことで、先輩教員から言われました。

 「教育とは、子供たちを正しく導くことです。だから、間違ったことを教えてはいけません。教師は、決して失敗があってはいけないのです。肝に銘じましょう」

 「そうか…、教師はそれだけ重大な任務を果たさなければならないから、当然失敗をしていては、間違った教育をすることになるんだ…しっかりしなくては」

 と、その時は何だか分かったような気持ちになったことを思い出します。

 しかし、本当にそうでしょうか?

 「教育には、失敗があってはならない」

 いったい誰がそんなことを決めたのでしょうか?

 だいたいこの世の中で、失敗のない仕事など、あるのでしょうか?

 失敗せずして、上手くできるようになる仕事など、あるのでしょうか?

 私は、ないと思います。

 実際、私もたくさんの失敗をしてきました。

 そして、上記のことを思い出しては、落ち込んでいました。「自分は、何ということをしたんだ…」と。

 子供たちに、漢字の書き順を間違えて教えたことがあります。(私自身、教師になるまで間違って覚えていました。分かった時点で謝り、正しい書き順を教えました)

 事実とは異なる情報を伝えたこともあります。(もちろん、わざとではありません)

 よくない指導の仕方をして、後で後悔したことがあります。(明らかに失敗だと思い、反省しました。その後、気を付けるようになりました)

 このような、失敗だと思う(思った)ことは、数えきれません。

 あなたもそうではありませんか?(「私は違う」という人がいれば、教えてほしいです)

 「教育に、失敗はあってはならない。教師  は、失敗してはいけない」

 という教訓は、いかにも正しく、もっともらしく聞こえますが、そんなことは決してありません。

 教育も人が施すことであり、教師も人です。失敗があって、当然、いやむしろ失敗こそが大切だと私は思っています。

 もちろん、失敗は、ないにこしたことはありません。ただ、自分の頭で考え、よしと思ったことであれば、どんどん行動に移すことが大切です。それが失敗に終わっても、です。

 人も教師も、トライ&エラーを繰り返すことでしか、成長できません。

 その意味で、「失敗」は決して悪ではなく、人として必要な「経験」なのです。

 世の中では、比較的「失敗」をダメなこととして捉えるようなところがありますが、教師としても、「失敗」をそんなふうに捉えていくことが大切ではないでしょうか。

 昔は「教員は聖職である」などと言われたものですが、実際には人と人との泥臭い部分が見え隠れする、生々しい人間模様が展開されるのが、教育現場です。

 いつも正しいことを目指す教育よりも、子供も教師ももっと人間らしい感情や思いをぶつけ合いながら、恥をかきながら、それでも最終的には互いの「幸せ」を感じられるような教育現場であればいいなと、今さらながら思っています。

 結局、私は何を言いたかったのか… 要するに、「教師であっても失敗を恐れず、子供たちとがっぷり四つになって向き合い、果敢にトライ&エラーを繰り返しましょう。そして、失敗に学びましょう!」ということです。

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