昨今、多様性を認めていこうとする国際的な大きな動きがあります。
その中で、もしかすると日本は多様性を認めることのできる人が少なく、今後世界から大きく立ち遅れていく可能性があるのではないかと思うことがあります。
一昨年、卒業生の修了式の中で(校長として)、こんな話をしました。
その時は、まさにロシアのウクライナ侵攻が始まった頃でした。
「明日、皆さんに渡す卒業証書、この卒業証書と書いてある面は表です。じゃあ反対側は何ですか? …そう、裏ですね。
表しかない証書を見たことがありますか?…ないですね。当たり前です。表があれば、必ず裏があります。
実は、この自然界には「表と裏」のように、たいてい2つのことが存在しています。
例えば、男子がいれば、女子がいる。昼があれば、夜がある。光があれば、影がある。 …他にもありますか? (…右と左、上と下、天と地、生と死、など)
そして、「幸せ」があれば、「不幸」があります。皆さんは、どっちがいいですか?
当然、幸せですよね。でもね、不幸があるから、幸せをより感じられるんです。
例えば、今ウクライナは大変なことになっています。毎日何十人、何百人という人が、爆撃で亡くなっています。ウクライナは、今とても不幸な状況です。
でも、私たちはどうでしょう。日本という平和な国にいて、とても幸せですよね。
そんなふうに不幸な状態を意識するから、今不幸ではない幸せな自分をより意識し、感じることができます。
皆さんもそういうこと、ないですか?
普段は健康のことをあまり感じていない人が多いと思うけど、病気になると「健康って本当に大事だな」と気づいたり、コロナで学校が休みになって、友達と会えなくなって初めて「ああ、友達と会えるって幸せだなあ…」って感じたり…。~(略)~
今日の話は、ちょっと難しかったかもしれませんね。また自分で考えてみてください。…」
話が変な方向に飛んでしまいましたが、要は、物事には2面あり、あなたはどちらを選ぶかという話です。
「選ぶのは、いつも自分」(奴隷でもない限り)です。
人の「嫌だな」と思う行動や結果に対して「責める」のか「助ける」のかということです。
私自身はなかなかできず、恥ずかしい限りですが、もちろん「助ける」ことを選択できる自分でありたいと思っています。