「先生大好き」な子供たちの学力は上がると同様に、「学校大好き」な教師が素敵な学校をつくると、私は思っています。
「学校大好き」な教師というのは、いわゆる仕事が遅く、いつまでも学校に残っている教師のことを指すのではありません。
教師の仕事にやりがいを見出し、同じ学校に働く教師たち(メンバー)のことを仲間のように思っているなど、その学校(職場)のことが大好きな教師のことです。
同じ学校の先生たちを仲間のように思うというのは口でこそ言うのは簡単で、実際は理想論と言ってよいくらいに難しいことだと思います。
しかし、「みんながみんなを大好き」というのはそれこそ理想論ですが、教師が自分の学校を好きになり、学校の子供たちを好きになり、学校の教師仲間を好きになるというのは、決して無理なことではないと思います。
少なくとも、「自分の学校が好き」と言える教師でありたいものだなと私は思います。(たぶん職場の人間関係が良好であれば、「自分の学校がすき」と言えるのでしょう。結局は、そこに集う人たち次第なのかもしれませんが…)
最近あまり言われなくなった言葉として、「同僚性」があります。
同じ職場で働く仲間として、お互い切磋琢磨しながら助け合っていくことは、人としても教師としてもとても大切であり、実際に目指していくべきことではないでしょうか。
その意味で、共に働く仲間を好きになれることに大きな価値があるように思うのですが、それは理想論なのでしょうか…。
小学校では「学級担任制」を取っているため、教室に行けば、担任の思いと力一つで、割とクラスの子供たちをどの方向にでも引っ張っていくことができます。そのことから、「同僚性」はあまり関係がないようにも思えます。
しかし、自らの資質・能力を高めようとしたり、学年や学校の動きに合わせ、協力しながらクラスをよい方向に進めたりしようと思った時に、やはり仲間(同僚)の力が必要だと思うのです。
それが、「チーム学校」です。チームとして動き、より効果を上げるということです。
学校単位という一つの組織として見た時に、この「同僚性」はとても大きな意味をもつだと思います。
この「同僚性」が低く、みんながばらばらであったり、互いに足を引っ張り合ったりする状態では、結果としてとても残念なことになるのは目に見えています。
例えば、あるクラスが崩れぎみで指導がなかなか入らない状況であったり、ある担任の健康状態が悪く休みがちだったりした時に、どうやってそのクラスを支えていくのかという場合があります。
そういう時に効果的に働くのは、やはり「同僚性」だと思うのです。
助け合う心というか、協力する気持ちというか、要はチームワークです。
その学校全体がチームとしてどのように問題解決を図っていくのか、学校の問題をどう改善していくのかということが、突きつけられる訳です。
そうした意味で、今の学校に必要なのは「同僚性」であり、「チーム力」であると思っています。
もっと言えば、教師一人一人がどれだけ子供たちや先生たち、しいては学校を好きかということにもなるのではないでしょうか。
単なる仕事として、割り切って働くことも時には必要でしょうが、もっと自分の職場やそこに関わるいろいろな人や事を好きになれば、より生き生きと楽しく働けるのではないかと思うのです。
そんな「チーム学校」をつくりたいと思い、以前勤務した学校でも私なりに努力をしたつもりですが、その達成度がどうだったかはよく分かりません。
いずれにせよ「学校大好き」な教師が素敵な学校をつくると思っています。
これからの教師を生きるあなたには、「チーム学校」の意識を高くもって励んでほしいと願っています。