5 「子供一人一人を好きになる」とは、「子供一人一人を信じる」こと

 

 前回は、子供の「幸せ」を意識しよう、目指そうという話をしました。

 しかし、とても抽象的な話でしたので、より具体的な内容については、今後提示していくことにしたいと思っています。

 今回は、「子供一人一人を信じる」という話をします。

 あなたは、目の前の子供を心の底から信じていますか?

 

 教室では、子供同士のトラブルが本当によく起こります。

 当然担任として、二人の話(複数の場合もあります)を聞くことになります。

 しかし、二人の話の内容が食い違うことが結構あります。

 その際、どっちの子供の言うことを信じるかということになります。

 この場合、一方を信じれば、もう一方を信じないということになります。

 さて、あなたは、どうしますか?

 ここで、教師としてやってはいけないのが「判断をして、決めつける」ということです。

 たとえ担任であっても、見ていないものは見ていないのです。

 聞いた話の内容や状況から、個人的に判断をして決めるのは、とても危険なことです。

 明らかにここはおかしいという部分があれば、それを明確にした上で話を進めるべきですが、事実として分からないことは、分からなくても良しとするのです。

 大切なのは、事実を突きとめ、双方の善悪をはっきりさせることではなく、また互いに謝り合うことでもありません。子供たち自身が、このトラブルをどう解決していけばよいかを考え、探ることです。 

 そこが目指したい、子供たちにとっての「生きた学び」です。

 担任としては、子供たちの前で、トラブルの仲裁役として素晴らしい解決能力を発揮したいところですが、決して早急な判断を下さないことです。

 特に教師が、けんか両成敗ならぬ、互いに謝り合ってなんぼ、という決着方法にもっていこうとすることは、よくありません。

 そうした意識は、必ず子供たちに見抜かれます。特に早急な判断は、命取りです。その子との信頼関係を失うことにもなりかねません。

 「先生は、ぼく(わたし)のことを信じてくれないんだ」という訳です。

 教師は解決を焦らず、子供の話をじっくりと(「聞く」ではなく)聴くことに集中します。

 授業時間が迫り、時間がなくなってしまった場合は、必ず後で時間を取って話を聴くことを約束し、確実に実行します。

 解決の着地点が見えにくい場合は、周囲の子供たちにその時の状況や様子を聞いてみるなど、多くの情報を集めることも必要です。

 その上で、トラブルの全体像を教師が把握すると同時に、その子供たちに掴ませるようにすることが大切です。

 当事者である子供たちと担任が、全体像をしっかり把握して、再び事の経過や状況を振り返って理解し直すのです。

 そうすることで、自分の良くなかった点や相手の気持ちが見えてくることがあります。

 そうすれば、このトラブルをどのように解決していけばよいかという「着地点」を、子供たち自身が探るようになっていきます。そうなれば、しめたものです。

 機が熟した段階で、「○○さんは、どうしたい(どうしてほしい)と思っているのかな?」など、二人の気持ちを聞き出したり、この後どうしていきたいかなどを伝え合うように促したりすれば、子供たちは自然と二人で解決の方向を見出していくものです。

 子供たちも、このままずっとけんかをしていたいと思っている訳ではないのです。

 できることなら、早くこの状況を脱したいのです。

 だから、教師が「解決してやるぞ」という風に、意気込む必要はないのです。

 大切なのは、教師が解決することではなく、子供たちが解決していくことです。

 その意味では、もしも子供たちでなかなか解決できない場合は、しばらくその様子を見ながら「放っておく」という方法もあります。

 あまり長引かせるのはよくありませんが、時にはそうした嫌な感情を引きずった状況をあえて取り入れる(経験させる)ことが必要な場合もあるかもしれません。

 もちろんそうであっても、「教師が見守る」ということを外してはいけませんが…。

 以前お伝えした、教師が「子供一人一人を好きになる」ということは、「子供一人一人を信じる」ということでもあります。

 それは、教師として子供のトラブルやけんかを解決することではなく、「子供一人一人が成長したいと思っている存在なのだと信じる」ということだと思っています。

 当然いろいろな子がいて、その場では自分のことを誤魔化したり嘘をついたりします。

 しかし、教師がその子供に対して「そんな経験を経ながらも、自分なりに成長していこうとしているんだ」と心の底から信じられるか、信じられないかは、大きな違いです。

 格好をつけた言い方をすれば、たとえ騙されたとしても、私は子供一人一人を信じたいと思っています。

 そして、それが教師をやる意味であり、使命なのだと思っています。

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