前回の続きで、最終編です。
担任教師は、クラス全員の前で、覚悟をもって「いじめ」に戦いを挑んでいくことになります。必ずクラス全員がいる教室で行わなければなりません。なぜなら、子供たち全員の力が必要だからです。クラスの子供たちを巻き込むことが重要なのです。それまで傍観してきた子供たちをあえて表舞台に引っ張り出してくるのです。
また、クラス全員の心を耕す必要があるからです。教師にとっても、当事者にとっても、クラスの他の子供たちにとっても、当然経なければならない修羅場となります。むしろそういう場にしなくてはなりません。いじめと戦うには、そうした場と戦い方が必要です。
加害者側であるB児やC児らの心情に寄り添う部分もあるかもしれません。きっとあるでしょう。そうした部分に関しては、気持ち(心情)として受容し、理解を示したり認めたりすることは良いと思います。
しかし、心情は認め許されても、行為は認められず許されないことをしっかりと伝えます。そのことをB児やC児らに突きつけます。この点を外してはいけません。あくまで、その悪い行為に焦点を当てます。
「どんな理由があったとしても、いじめは人として最低の行為であり、絶対に許されないことだ」と、毅然とした態度と真剣な表情で伝えなければなりません。状況によっては、「家の人たちにもこのことを伝え、いっしょに考えてもらう必要があります。お父さんやお母さんに連絡し、学校に来てもらいます。とても大事な話ですから…」など、事の重大さをはっきりと自覚するように伝えます。もちろん、本気でそうするつもりで、です。
大きな声を出す必要はありません。真剣な教師の目と表情と言葉があればよいです。
そして肝心なのは、クラスの子供たちを巻き込んで、みんながこの状況をどんなふうに見ているのか、思っているのか、感じているのかを、強く表に引き出さなければならないということです。
これがとても大事で、必要不可欠なことです。
当然良く思っている子供たちなんて、いるはずがありません。しかし、加害者に同調したり、助け船を出したりする子供たちがたいていいます。
例えば、「A児の方にも、悪い点があるからではないですか?」などと言う子供です。
これも、教師は許してはいけません。
「ほう、そうですか…だから、いじめをしてもよいということなんですね?」
「あなたは、本当に心からそう思っているのですか?…他の人たちは、今のを聞いてどう思いましたか?」…など、攻撃の手を緩めてはいけません。
いい加減なことを言い、いじめを容認するような言動を野放しにしていけないのです。
そして、B児やC児らから、自分たちの行ってきた行為に対して「二度と繰り返さない」という気持ちが腹の底から湧き上がってくるまで、諦めてはいけません。許してはいけません。
これは、教師といじめとの戦いです。ここで負けてはならないのです。教師は必ず勝たなければなりません。それぐらい重大なことです。そして、修羅場を力強く乗り越えていく必要があります。
ただ、最後には、B児やC児らも結局は困ったり悩んだりしているということを忘れてはいけません。
いろいろな立場で、A児の言動に対する反発や嫌悪感などを抱いている部分もあったり、そういう子供たちもいたりすると思います。
そうした面でA児への指導もしていくことをB児やC児らにも約束することも大事です。彼らの困り感に寄り添い、それを解決に導いていくことも、大切な教師の役目です。
いじめは一度の戦いが終われば即解決というような、そんな簡単なものではありません。日頃から折に触れ「いじめは、最低の行為である」という話を子供たちに繰り返し伝えていかなくてはなりません。いったん解決したように思えるいじめも、水面下でくすぶっている場合もあります。だからこそ、日々の見守りが大切なのです。
昨今、いじめによる自殺がとても多いです。
命よりも優先すべきことは、この世にはありません。だから、いじめは最優先で解決すべきことです。学力うんぬん以前の問題です。(もっと国を挙げて解決を図っていくべき緊急かつ重大な喫緊の課題です。調査に時間をかけ、分析ばかりしている場合ではありません…)
もう一度言います。担任教師こそが、「クラスのいじめをなくす」ことができます。
担任教師は、いじめを絶対に許してはいけません。そのことを肝に銘じ、覚悟をもって対応していくことです。
大丈夫、必ず解決できます。「教師失格」の私でも、できましたから…。