95 教師こそがいじめをなくすことができる…①

 現在、教育の喫緊の課題の一つに、「いじめ」があります。

 前回、「残念なクラス」の特徴の一つとして『けんかやいじめが多い』を挙げましたが、クラスが崩れ気味になってくると、こうした状況が少しずつ湧いて出てきます。  

 不思議なことですが、教室の中の空気がそういう方向に傾いていくと言いましょうか…恐ろしいことです。

 ある著名な方の言葉「人は、いじめをやめられない」を前に書きました。人が集団で生活する時には、脳の構造上どうしてもそういう意識が働いてしまうとのことです。悲しいことです。

 しかし、たとえそうだとしても、皆がみんな、いじめをする訳ではないと思います。

 だから、「いじめをなくす」ことは難しくても、「いじめを減らす」ことは必ずできると思っています。

 いえ、私はクラスの中でこそ、「いじめをなくす」ことができると思っています。

 担任教師こそが、「いじめをなくす」ことができると思っています。

 百歩譲って、いじめとは言えない程度のレベルにまで改善することはできると思います。そして、それは担任教師として「すべき」ことです。

 そんな状態のクラスで暮らすみんなは、楽しくないですし、かわいそうです。ハッピーになれる訳もありません。

 その意味で、やはり「クラスづくり(=学級経営)」なのです。

 最終的には、「こんなクラスをつくるんだ」という教師の覚悟が全てだと思っています。

 私も担任として、これまでクラス内でのいじめを幾たびか経験してきました。

 いじめは、最初はたいてい一人から始まることが多いと思います。中心となる子供が口火を切る訳です。理由は様々あると思います。面白みがなくうっとうしいからとか、弱そうでついいじめたくなるからとか、とにかく勝手な理由をいかにも当然のことのように、正当化する傾向があります。

 その内、周りの友達やそれに乗っかってくる子供たちが出てきます。(最初からの場合もあります)

 誰かがいじめ行動をすると、周りの子供たちがそれを煽ったり次々に加勢したりします。

 シューズを隠したり机や椅子を故意に離したりするなど、言葉の暴力だけでなく、より具体的な行動となって現れてきます。

 徐々にその人数も増え、頻度も多くなるなど、だんだんエスカレートしていきます。こうなると、かなり深刻な状況です。

 多人数対一人…これが正しいことであるはずがありません。

 担任教師は、これを絶対に許してはいけません。

 どんな理由があろうと、人の体や心を故意に傷つけることは許されません。

 実は、いじめをやっている子供たちは、大きな悪意をもって行っている子供はほとんどいません。ただ、ものすごく悪いことであることの自覚、意識がないのです。

 そして、むしろ自分たちの行いを正しいことだと思っている(もしくは、信じている)場合が多いと思います。

 だからこそ、いじめはやっかいで解決が難しいのです。

 次回は、いじめに対する担任教師のあり方や指導などについて書きます。

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