昨今、教師の多忙や働き過ぎによる過労死の問題がニュースや新聞などでよく取り上げられています。
今に始まったことではないのですが、残念ながら教師は昔も今もとても忙しいです。
ただ30年教師をやってきて思うのは、年々その忙しさが増している点です。
特に、その質の変化が大きいと私は思うのですが、いかがでしょうか。
教師であれば、たぶん皆さんそう思っていることでしょう。
人は忙しさが増せば増すほど、だんだんとその仕事を楽しむことができなくなっていくのが普通ではないでしょうか。
これは、本当に憂うべきことであり、不幸なことです。
どうしてこのような状態が続いているのでしょう…?
私は、一つに教師の仕事の内容が多種多様化してきていることが挙げられると思います。
以前は、まだクラスの子供たちの授業や学年の動き、学校行事に関わることなどが仕事の中心でした。
しかし、最近は子供たちのことはもちろん、保護者やPTA、地域と関係することなど、子供たちの学習以上にその周辺のことにたくさんの意識と時間が割かれているということを感じます。
また、いろいろな困難を抱えた子供たちがたくさんおり、教師がその一人一人にかける個別対応の時間が非常に多くなってきています。そう思いませんか…?
そのため、本来教師が担うべき役割や仕事内容がどうしても分散したものになってしまい、いわゆる周辺の業務というものがたいへん多くなっているのです。
職員室に入ると、現在はほとんどの教師がパソコンに向かって必死に文字を打ったり、資料をつくったりしている姿ばかりです。
最近少し減ったとはいえ、どこかに報告・提出するだけの書類も多く、本当に問題だなと思います。
教師が子供たちと遊ばなくなったのも、ここに要因の一つがあると考えます。遊びたくても遊べない、というのが本音でしょう。
コロナ騒動が明け、国や文部科学省がこの緊急かつ重大な課題にようやくメスを入れつつあります。ただし、その対策や具体的な法整備などは、まだまだこれからといった様子です。
過労死という悲劇が起きて初めて重い腰を上げているようでは、先行きは暗いと言えなくもないですが、何はともあれ動き始めたことに期待したいと思います。
このように世の中の機運が上向きになってきたのは良いのですが、私たちはただ行政がやってくれることに期待し、良くなることをじっと待っているのもよくないと思います。
教師一人一人ができることをやっていかなくてはなりません。
では、いったい何をすればよいのか…?
私が提唱したいのは、まず「やらないことを決める」ということです。
例えば、これまでやっていた「子供一人一人の宿題への丸付けや採点をやめる」などです。もちろん、そういった地道な作業を誰かがやらないといけない訳ですが、できるだけ他の先生(サポーター的な教員や無担任教員など)にやってもらうようにするのです。
子供の答案の丸付けや採点は、担任教師がやったほうが良いのは間違いありませんが、必ずしも担任教師でなくてもよいことで、削られるところは削っていかなくてはなりません。
人不足の現状を考えると、行政のサポートや予算取りが必要になるでしょう。その点では、やはり校長や教頭が力を発揮しないとならないのですが、結局それを言っていると、なかなか事が前に進まないと思うのです。
だから、まずは教師一人一人が「やらないことを決めていく」ことが大事です。
…この続きは、次回へ。