78 挨拶は「する・しない」ではなく、「できる・できない」?…①

 挨拶の声があふれる学校(クラス)って、素敵だと思いませんか…。

 では、挨拶の声があふれる素敵な学校(クラス)にするには、どうすればよいでしょう…? 

 

 これまで私はどの学校に行っても、この問題にぶつかっている現状を目の当たりにしてきました。

 思えば、担任や生徒指導主事の頃に一生懸命この問題に取り組みました。

 挨拶をする子供たちを増やそうと、全校を巻き込んで、下記のようなことに取り組んだ覚えがあります。

「あいさつ勝負」…ゲーム的感覚で挨拶の競争をすることで、みんなが楽しく挨拶をし合い、互いに高まり合おうと考えたもの。先に挨拶をした人が勝ちという「あいさつ勝負」をし、その結果を記録していくという活動。一定の子供たちには効果がありましたが…。

「あいさつレベルアップ運動」…挨拶レベルを5段階に分けて設定し、自分が現在どのレベルにあるかを知り、そのレベルを向上させていこうという活動。挨拶名人を紹介したり、賞状を贈ったりしました。

 しかし、これらの活動も苦労が多い割には十分満足できる結果には至らず、正直いつも永遠の課題のように感じている自分がいました。

 私は「挨拶をするのは、人として当たり前」と人生の先達から教わり、自分自身もそう感じながら、当然のように毎日挨拶をしてきました。だから、挨拶をしない子供たちを見て、どうして挨拶をしないのだろう…と不思議でなりませんでした。

 そんなあるとき、登校してくる子供たちの挨拶の様子を見ていて、ふと感じたのです。

 『挨拶は、もはや当たり前ではない』と…。

 と同時に、『挨拶は「する・しない」ではなく、「できる・できない」ではないか…?と思ったのです。

 挨拶は、できる人とできない人がいて、それは、その人の「能力」によるものなのではないかということです。

 これまで私は、挨拶をするか・しないかは、「意識」の問題だと思っていました。今時の言葉で言うと「意識」の高い系と低い系、つまり挨拶をしようと思っている人とあまり思っていない人がいて、その「意識」がその人の行動に表れているのだと思っていました。

 だから、私は子供たちが進んで挨拶をするように「意識」を高めることに躍起になって指導していたのです。

 また、多くの学校で挨拶運動に取り組んでもなかなか効果が上がらないのは、子供たちの「意識」を高めるのが難しいからだと思っていました。

 でも、もしかすると違うのではないか…と思い始めたのです。

 この問題の核となる部分は、「意識」ではないと…

 

 もちろん「意識」は大事です。「挨拶は大切だ」「進んで挨拶をしよう」など、挨拶に対する「意識」の高い人は、当然挨拶をする頻度は高まるでしょう。

 しかし、「意識」はあっても、なかなか挨拶ができない人も多いのです。

 つまり、挨拶をするか・しないかは、挨拶をしようという「意識」の高い・低いよりも、挨拶をする「能力」の高い・低いの方が大きく影響しているのではないかということです。

 だから、挨拶を「しない」のではなく、「できない」(能力が低いため)のです。

 

 それ以来、私は「挨拶への意識を高める指導」に全力投球することをやめました。

 そして、挨拶を増やすための指導方法を少しずつ変えていったのです。

 この続きは、次回へ。

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