新入社員として配属になったのは、千葉県のある店舗でした。(スイミングスクールと体操スクールの2つのセクションからなる小規模店。私はスイミングスクールの配属となり、スイミングコーチとして働きました)
そこで、私は人生の転機となる子供に出会います。
Sという年中の子でした。火・金曜日の週2回、通ってきていた子でした。いつも明るくニコニコとしていて、とにかく笑顔の似合う元気な男の子でした。
私はS児を見ると、なぜかとても元気が出て「よし、頑張ろう!」という気持ちになるのでした。
S児は、「顔付け」や「バタ足」は、いつも満面の笑顔で元気いっぱいに取り組むのに、「飛び込み」になると急にへっぴり腰になり、手足は震え、おどおどとした別人のようになるのでした。(その姿もどこか可愛かったですが…)
(※飛び込み:プールサイドに立ち、足からドボンと水の中に飛び込み、頭のてっぺんまで水につかった後、そのまま泳いでプールサイドまで戻るというもの)
私が彼のグループを担当している半年ぐらいの間、彼が飛び込みに成功したのは、たったの2回でした。
その飛び込みができないだけで、なかなか進級できずにいた彼を、私は「なんとか進級させてやりたい、彼の喜ぶ笑顔が見たい」と思い、私なりに工夫し熱心に教えました。
しかし、思いは叶いませんでした。
しばらくして、グループ担当コーチのローテーションの時期が来て、私はそのグループの担当を離れることになってしまったのです。
彼はその後も飛び込みができるようにはならず、進級することもなく、そしていつの間にか退会していってしまいました。
この時私が強く思ったのは、「同じ子供たちの成長をそばで見続けたい」でした。
(そのスクールのプールには、毎日200~400名ほどの子供たちが毎時間入れ替わり立ち替わりやってきました。担当のコーチも定期的に入れ替わるなど、まさに目の前の子供たちにひたすら指導をこなしていくという感じでした)
私は「自分の思いを達成するには、学校の先生になるしかない」と、心の底から教師になりたいという気持ちを抱きました。
しかし、すぐに会社を辞めることはしませんでした。まだまだその会社で学びたいことがたくさんあったからです。
現場で2年過ごした後、私は東京本社に異動になりました。
あの朝のラッシュアワーの電車こそ死ぬほど嫌でしたが、楽しく充実した期間を過ごさせてもらいました。(この頃には、将来自分の学校をつくりたいという思いにまで高まっていました)
そして、「20代で会社を辞めて、教員を目指す」という、あの日から考えていた行動を起こします。
思い出話が長くなりました。この後の話は、プロフィールにあるとおりです。
教師の皆さん、夏休みはすぐそこです。心も体もリフレッシュして、充実した夏休みにしてくださいね!