前々回、かなり自身の恥をさらしたことで、「遊ぼう先生」をより知っていただきたいという思いに駆られました。もう少しだけお付き合いください。
私は失敗が多いというより、失敗だらけの人生だと自分では思っています。
ただ、その数多くの失敗こそが、今の私をつくってきたとも思っています。
例えば、高校受験は何とか乗り切りましたが、大学受験では見事に失敗しました。
恥ずかしい限りですが、その時は「世界で一番不幸なのは、俺だ…!」ぐらいに感じ、とことんへこみ、挫折感を味わったのを覚えています。
そして、1浪後に入った大学では留年(1年)しました。
毎日運動部(野球)の練習後、夜8時から午前2時までウェイターのアルバイトに明け暮れ、キャンパスに行くのはいつも午後からという自堕落な生活を送っていました。
それでも将来は教師になりたいと思っていたので、大学は教育学部でした。
教育実習に行き、教師への気持ちも高まってはいましたが、大学3年生の終わり頃に、「このまま先生になったときの自分の人生は、見えている。それでいいのか…」と考えるようになりました。
教師になって定年まで勤めることに、人生が見えてしまったように感じたのです。
そういうときの私は、どうも「つまらないなあ…」と感じるようです。先が見えないことの方がワクワクするというか、人と違うことをしたいという思いが強い人間のように思います。(全てにおいてではないですが、あまのじゃくです)
それからは、「もっといろんな世界のことを知りたい。自分の視野や経験を広げたい」という気持ちがどんどん大きくなっていきました。
結局、私は教員になることをやめ、民間企業に就職することを選びました。
当時大学の同科の同級生50名のほとんどが教員採用試験に向け、必死に勉強している中、私だけが就職活動にいそしんでいました。
周囲からは「教員採用試験を受けるだけでも、受けてみれば?」と言われましたが、耳を貸しませんでした。(頑固です)
ハローページ(電話帳)よりも分厚い、厚さ3cmほどもあるリクルートブックという冊子を片手に、入りたい業界について調べ、いろいろと考えました。
そして、最終的には「大好きなスポーツで人と関わることができる」フィットネス業界に決めました。
結局2つの会社から内定をもらい、その内の1社(当時全国に104店舗をもつ大きな会社でした。私が辞めた数年後に他社に吸収されています)に就職し、意気揚々と社会人としての第一歩を踏み出しました。
最終的にその会社には29歳まで勤めましたが、会社自体も社員もとても若く、エネルギッシュでパワーのある職場が、私はとても好きでした。
そこで私の人生に影響を与える様々な方々にも出会い、たくさんのことを学ばせていただきました。
とても楽しい時間を過ごさせてもらったと、今でも感謝しています。