健診のために年老いた母親を連れ添って行った病院で、たくさんの患者さんを見ると、いつも思うのが健康の大切さです。「健康が当たり前」と思っていることに改めて気づかされる自分がいます。
あなたは、そういうことはありませんか…?
さて、前回に続けて、新型コロナに関して教職員に伝えた後半部分を紹介します。
『 コロナは、現在の感染症2類(致死率がとても高い「結核」と同じ扱い)ではなく、インフルエンザと同じ5類相当にすればよいのではないでしょうか。
日本が世界有数の病床数を誇りながら、これほどまでに医療崩壊を声高に叫ばなくてはならない理由は、感染症2類としているが故に、保健所のみがPCR検査や陽性者への対応に追われて、コロナ患者の受け入れや診療が公立病院(しかも一部)に限定されているからです。(最近になって、ようやく一般の医師による「見なし陽性」なるものが認められてきていますが…)
コロナを感染症5類にして、一般の開業医や私立病院の医師(世の中の医師の8割に当たる)が対応すれば、全く医療崩壊の心配は要らないと言われています。(崩壊したのは、実は飲食業界です)
また、厚生労働省は、例えば、がんや交通事故で亡くなった方でも、その死後にコロナ陽性が判明すれば、全てコロナ死として報告するよう通知を出しています。(WHOの提唱による)つまり、直接の死因がコロナでなくても、コロナ死でカウントされ、その数値は水増しされていることになります。「志村けんさん」に代表されるように、人が亡くなるときに、家族がその死に目にも会わせてもらえないという事態は、いったい何なのだろうと思うのは私だけでしょうか。
この2年間の自粛生活で、子供たちが失ったものは、たいへん大きいと言わざるを得ません。(※結局は、3年に及びましたが…)
現在、懸念されているだけでも、学力・体力やコミュニケーション力の低下、思い出の減少、所得格差による学力の更なる二極化、学びへの意欲の喪失、不登校児・いじめ・自殺児(自殺児童数は過去最高)の増加、長期マスク着用による呼吸器系の機能・免疫力の低下、生涯に渡る獲得賃金の損失(一人当たり約170万円)等、政府はコロナ自粛によるデメリットをもっとしっかり考えるべきだと思います。
大人の問題も深刻です。倒産や失業による自殺者・うつ病患者の増加(特に女性やパート職)、家庭不和やDV問題・事件の増加等、コロナ自粛から派生する様々な問題は今も拡大する一方です。
これらは緊急かつ重大な問題であるにも関わらず、国がそれらに目を向けようとせず、相変わらず同じ政策を取り続けるのは、いったいどういうことかと思います。
私は、この2年間のコロナ生活を通して、たくさんのことを考えてきました。
「病気を過度に恐れ、人として大切なことをやめ続ける生活が、幸せなことなのか」
「これが、本当に人間らしい生き方といえるのだろうか」
「人は、死を意識するからこそ、その反対である生を意識する」…など、改めて真剣に思い、考えるようになりました。
私事で恐縮ですが、私の母(90歳)は、昨年「コロナに罹って死んでもいい」と言いました。「何を言うか、縁起でもない」と即座に言い返しましたが、そういう死を迎えてもいい、今生でやることはやり切ったという母なりの覚悟(死生観?)ができているのだと感じ、ある意味羨ましく思いました。
そんな母を見ながら、もっと人間らしく、自分らしい生き方をしたいと思うと同時に、たとえ少数派でも自分が信じることは臆することなく発信したいという気持ちを新たにした私です。 』
以上、これらは1年以上前から発言・発信してきた内容ですが、ここにきてやっと世の中がそうした動きになってきています。
当校では、このような思いや考えを教職員に伝えると同時に、いろいろな教育活動をできるだけ止めないようにして、授業や校外学習などを工夫して進めました。(それでもかなり制約があり、できなかったことがたくさんあります)
あなたの学校は、いかがでしょうか。ようやくコロナが感染症法上の2類から5類に変更になり、対策が緩和されたことで、私たちの生活は以前の日常を取り戻しつつあるとは思います。
しかし、学校では、まだまだマスクを外せない子供や学校に行きたがらない子供などが多いのではないでしょうか。(問題を抱える子供は、ますます増えていることでしょう)
こうした学校教育における問題や課題を教師一人一人が考え、学校全体として改善・解決していかなければなりません。残念ながら授業をしていればよかった教師は、もう遠い昔のことなのだと改めて思っています。
最後に格好をつけた言い方になりますが、私たちは感染症をやたらと恐れるのではなく、「健康で、人間らしい生き方」をもっと目指していくべきではないでしょうか。