49 学級経営のイロハ35「子供同士がつながるクラスへ」

子供同士がつながるクラスへ

 帰りの会などを通して、子供同士が互いに「褒め認め合う」時間を意図的につくることで子供たちの中に承認の感覚が芽生えてくると、だんだんと活気が生まれ、生き生きとした雰囲気のクラスになっていきます。

 そこで、さらにクラスに褒め認め合う風土や文化をつくり、子供同士がつながるようにしていきます。

 そのためには、授業の中で「学級経営のねらい」を明確にもって学習を進めていくようにしなければなりません。まさに「学級経営は、授業の中で行う」です。

 子供たちが褒め認め合い、つながるクラスをつくっていくための実践といえます。

 すなわち、授業における「学習のねらい」を目指す一方で、「学級経営のねらい」(上記下線部)を念頭に置き、授業を進めていくのです。

 ただ漫然と授業をしているだけでは、この「学級経営のねらい」は達成できません。

 教師が日頃から明確な意図をもって授業をつくっていく他ありません。

 最終的には、「子供たち自身が進んでそういうクラスを目指していく」ことが目標ですが、まずは教師がその土台づくりをしていくことになります。

 例えば、国語の授業の中で、ある子供が発言した時に、その発言に対してどんなところがよかったかを、他の子供たちに聞くのです。

 例えば、次のようにです。

「今のBさんの発言、○○のこともよかったけど、他にも良いところはなかったかな?」

「Cさんの今の発表、すごくよかったと思ったけど、気づいた人はいますか?」…など

 もっとも学習のねらいに沿った考えのよさや深さなどを取り上げることは大事です。

 ただ発言の中身のよさだけでなく、発言した子の心情的な部分や勇気、積極性など、その子のよさや取り組み方に注目し、それを取り上げ認めるような問いかけをするのです。

 その子の発言を通して、学習のねらいだけでなく、学級経営のねらいを全体に広め高めたい面に目を向けさせたり、クローズアップしたりするのです。

 一見、授業から外れるような気がするかもしれませんが、友達や仲間に対して、いつもそういう見方や感じ方ができるように育てていくことが学級経営であり、学校教育だと私は思っています。

 もっと大きな視点で言うならば、それが「人間教育」につながるのではないでしょうか。

 授業の中でこそ、子供たちに、いつも人の良いところを見ようとする心や仲間の良さを自分に取り入れていこうとする気持ちを育てたいと思います。そう思いませんか…。

 道徳教育といってもよいかもしれません。道徳教育は「全教育活動を通して育んでいくべきもの」と定義されています。まさに、そのことを授業の中で実践しているといえます。

 私たちは、学習のねらいばかりを念頭に授業を進めるあまり、そうした人として大切なことを学ぶ機会をおろそかにしている面があるような気がしてなりません。

 学校という場所は、もっと人間教育の場であってよいと思いますし、そうあるべきだと強く思っています。

 きれい事を言っている場合ではないかもしれませんが、もっと人としての根っこの部分を大事にした教育を目指していきたいものです。

 話が少し逸れてしまいました。

 教師が授業の中で子供一人一人の良さを大いに褒め認めていく、それが子供同士の褒め認め合いになり、やがて子供たちがつながっていくようになる、それを目指すのです。

 日頃なかなか発言できない子供や自信のない子供、勇気を出して発言したけれど、反対意見に意気消沈している子供、誰も言わないような鋭い意見を出した子供、友達をかばい助けるような思いを語る子供など、その時に見せた素晴らしい子供のよさ(勇気や積極性、前向きな見方、意思の強さ、仲間を大切にする気持ち、思いやりや優しさなど)を、授業の中で褒め認め合い、つながるように教師が仕向けていくのです。

 子供同士がつながるクラスを目指し、よりよい学級経営を工夫していきましょう。

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学校教育
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