今回も「タテの関係づくり」において、気をつけていくとよいと思うテーマです。
「ヨコの関係づくり」にも関わってくる内容なので、共に考えてみましょう。
完璧を求め過ぎない
「完璧を求め過ぎない」ということです。
特に教師は、自分にも人にも完璧を求めようとする傾向にあるようです。自分にも子供たちにも、完璧を求め過ぎないようにしたいものです。
教師であれば、子供たちの前では、完璧な姿を見せたいと思うのが普通です。
しかし、教師もやはり人間です。いつも完璧な状態、姿であるはずがありません。時には失敗もすれば、過ちも犯します。もちろん程度問題はありますが、意図的でないことは確かです。
失敗や過ちは、人として仕方のないことであり、ある意味人間らしい姿でもあります。だから、それらをある程度認めていくのも必要なことです。
ただし、よくないのは教師が失敗や過ちをした時に言い訳をしたり、都合よくごまかしたりすることです。これは、教師としても大人としても見苦しく映ることがあります
子供たちは、そういう姿や様子をとてもよく見ています。そして、教師に対する信頼感や信用度を減らしていくのです。
だから、言い訳やごまかしをせず、むしろ潔くそれを認めたり謝ったりして、次のことに目を向けるようにしていくことが大切です。
その方が、子供たちは教師の誠実さや潔さを感じ取り、好感をもつことすらあります。
気持ちはよく分かります。子供たちの前で教師としての威厳を保ちたいと思うのも当然でしょう。
しかし、ここは非の打ちどころのない完璧な教師ではなく、少し気が緩んだ愛嬌のある教師の姿を見せることがあってもよいと思います。
例えば、子供たちが楽しみにしていた図工の授業で、肝心な準備物を持参するよう伝え忘れた場合などに、子供たちから責められたとします。教師のミスなので、当然です。
A:「あ~、そうだったね。ごめんごめん、すっかり忘れていたよ。今日の帰りには、必ず伝えるから、明日の楽しみに取っておいてね」
などと、伝えればよいです。ところが、次のように言う先生もいます。
B:「え、先生は言ったつもりだったけど…そうか、言ってなかったか。その時になんで教えてくれなかったの。そうすれば、こんなことにならずに済んだのに。今度からは言ってね」
などです。これはよくありません。子供たちとの関係も悪くなっていきかねません。
子供たちが楽しみにしていたことなら、なおさらです。その心情を酌み取り、同情する姿勢が必要だと思います。
教師にとって威厳は大切ですが、子供に対する相手意識や精神的なゆとりがほしいところです。
また、Aのような伝え方はよいのですが、これが何度も続くようではだめです。本当に威厳がなくなり、信用されなくなるので気をつけましょう。
こうした教師の姿が見られるのは、その根底に「完璧を目指そうとする心」があるからに他なりません。心がけとしては悪いことではありませんが、完璧を目指し過ぎるのはよくないと思います。
一つ一つのことに丁寧で着実な行動を心がけることは大事ですが、あまりにも完璧を求めすぎると、教師は辛くなってしまいます。
特に教師は、真面目で実直な人が多いので、何でも完璧を目指そうとして、どこかで心がぽきんと折れてしまうことがよくあります。
何事にも、ほどよい程度があるということになるでしょう。時には80~90点ぐらいでよしとすることも必要だと思うのです。
子供たちに対しても、同様です。全ての子供がテストでオール100点を取ることが無理なように、子供たちにも完璧を強いることがないようにしたいものです。
例えば、ある子供が何か叱られるような悪いことをした時に、言い訳の一つも言えないように執拗に責め続けたり、一方的に怒鳴りつけたりするのはいけません。
静かに毅然とした態度で指導すればよいことであり、その子供にどこか逃げ道の一つぐらいはつくってやるのも、教師としてのあり方です。
完璧を求めるあまり、完膚無きまで叩きのめし、責任を追及するというのは教師の仕事ではないと思っています。
いわゆる教育的配慮というものを加味しながら、関係を壊してしまわないようにしたいものです。
ところで昨今、精神的な疾患を患い、教師を辞めていかざるをえない人が絶えません。
その要因は様々ですが、一つには「完璧を目指しすぎる」ところにもあるように感じています。
教師であっても、人間らしい一面をもっと子供たちに見せ、人間対人間として堂々と関わっていくことが大切であると思っています。
学校現場には、本当に多くの課題が山積しています。 これらを早急に解決していくことで、教師がもっと心に余裕をもち、本来の教師らしい仕事に邁進できるような教育現場になること、多くの教師が辞めずに生き生きと働ける学校になることを切に願っています。