あなたは、「教育って、何のために行うのだろう?」と、考えたことはありますか?
私は、教育とは、目の前の子供の「幸せ」を目指して行うものだと思っています。
それが、教育の本質的な目的だと考えているからです。
では、子供の「幸せ」って何なのでしょう?
よく考えてみると、この「幸せ」は、人によって結構異なると思います。
そう考えると、「幸せとは、こうだ!」と言って、全員が同じ思いで教育を進めていくことは、なかなか難しいことです。
そのため、実際には、国や文部科学省が日本の教育のあり方について定めています。
特に教員は、その大枠(日本国憲法や教育基本法、学校教育で言えば、学校教育法や学習指導要領など)に従って、教育を行っています。
つまり、その日本の教育のあり方に、「幸せ」が含まれていると考えることができます。(「幸せ」という言葉は、あまり出てきませんが・・・)
今回は、大上段からのちょっと難しい話になっていますが、少し言わせてください。
私は単純に、教育は子供の「幸せ」をもっと意識していくべきだと思っています。
一般的に教師は、子供たちに対して、次のことを目指して授業を行っていると言えます。
・知らなかったことを「知る」ようになること
・分からなかったことを「分かる」ようになること
・できなかったことを「できる」ようになること
しかし、この「知る」「分かる」「できる」を教えることが、本当に子供たちの「幸せ」に繋がっているのかということです。
むしろ、「知る」よりも『知ろうとする意欲』だったり、「分かる」よりも『分かろうと必死に取り組む粘り強さ』であったり、「できる」よりも『できるようになるための問題解決力を高めること』であったり…などを身に付けることの方が大切なのではないかということです。
ようやく最近になってクローズアップされてきている「非認知能力」と言えるかもしれません。
いわゆる知識・理解・技能などの能力を高めることは、これまでも日本の教育では大切にされてきました。高度経済成長下では、非常に効果的であり、国の復興や経済成長のために、十分役割を果たしてきたことは事実です。
ただ、現在はその知識・理解・技能よりも、それらを生かした「活用・探究的な学習」や「主体的・対話的で、深い学び」「個別最適な学び」などが求められています。
教育のあり方としての方向性は、間違ってはいないと思います。
しかし、子供の「幸せ」への視点がどこか欠けているような気がしてなりません。
大人になってほとんど役に立たない「因数分解」や「分数のかけ算」、「歴史の年号」を一生懸命に学ぶよりも、もっと人として大切な力を高め学ぶことを核に据えるべきだと思います。
例えば、問題解決能力や人と関わるコミュニケーション能力、思いやりの心、簡単には諦めないメンタルを育てることなど、そうした力の向上や醸成を授業で目指したいところです。
それが、今の子供たちにとって必要な「生きる力」だと思うのです。
そのためには、教育改革、いやそんな生ぬるいものではなく、「教育革命」と言われるくらいのことが必要だと思うほどです。
現在、学校教育の中で喫緊の課題となっている、「いじめ・不登校」や「学力格差」の問題、「特別支援教育」への対応などは、まさにこれまで行ってきた教育の結果です。
正直、もはや学校教育の中だけでは解決が難しい問題となっています。家庭や地域を含めた日本の教育が問われていると言ってよいです。
「良い学校に行って、良い会社に入れば、良い人生が待っている」という時代は終わりました。
もうそろそろ真剣に古い時代の価値観から脱却し、本当の意味での「幸せ」教育をするべきだと思います。
今の日本には、大人も子供も「幸せそうな人」が本当に少ない、と私は感じています。
もっと幸せな人を増やしていきませんか。
そのためには、まずは、私たち大人が幸せになることが先決です。
教員は、幸せな子供を増やしていこうと、もっと意識していくことが必要だと思います。
だから、担任が感じている幸せを子供たちにお福分け(お裾分けでなく)するのです。
毎日子供たちの前で、楽しく授業をし、幸せな担任の姿を見せるのです。
「こんな幸せな大人になろう!」と、手本を見せるのです。
それを実行する教師が、子供を幸せにする素敵な教師ではないでしょうか。
(今回は、とても抽象的な話になってしまいました…すみません)