「この学校は、…」
その学校に初任からずっといる人は、きっとこの言葉は使いません。「○○校が、私の学校」という所属意識がたぶんあるからです。
つまり、2か所以上の学校に異動経験がある人や所属意識の低い人に多いと思います。
特によく聞かれるのは4月で、批判的なニュアンスが強くなります。
「この学校は、皆さん夜遅くまで残られるんですね」
「この学校は、先生たちは家庭訪問をしないんですか?」
「この学校は、朝トレはやってないんですよ」(何年も同校に所属する教師)…などです。
4月に新しく配属になった人は、最初はどうしてもお客さんという立場を拭い去れないので、仕方のないことかもしれません。
ただ、半年以上経ってもまだ使っている人は、やはり自分の学校(職場)への所属意識が低いのではないかと思います。(癖で使っている人もいますが…)
しかし、こういった意識はいろいろな面に影響します。
例えば、電話でうっかり前任校の名前を言ってしまうことが多くなります。また、仕事に対して前向きに取り組めないことにもつながります。
「前の学校の子供たちは、すごく素直でよかったのに、この学校の子供たちはわがままで全然可愛くないです」「この学校の先生たちは冷たくて、好きになれません。前の学校の先生たちは優しくて、よかった…」など、なかなか新しい環境に馴染めない状況が生まれがちになります。(残念ながら私が実際に聞いた言葉です)
こうなると、「寂しい」を通り越して、「悲しい」「可哀想」という気持ちになります。
もっと言えば、この言葉を使っている(この意識でいる)限りは、いつまで経っても新しい環境(学校)に愛着をもち、自分らしさを生かして仕事をしていくことは難しいのではないかと思います。
私は、学校の異動があった時は、「今日から○○校の人間だ。○○校の先生たちや○○っ子と共に頑張ろう!」と、いつも気合いを入れてから学校に足を踏み入れます。
そこから先は、「この学校は、…」という言葉とは無縁です。(初任校からずっとそうでした。気付けば10校…)
振り返ってみると、いつも早い段階でその学校の人間になり切り、覚悟を決めてやってきたからこそ、それぞれの子供たちや教職員、地域の人たちと、いつも楽しく仕事をしてこられたのではないかと思わずにはいられません。(「○○校に愛着をもち、○○校の人間として生きる」ということです。その分、異動で学校を離れる時は余計に感慨深いものがあります)
「たかが言葉、されど言葉」です。また、言葉には「力」があります。
自分の学校に対する思いの強い人が多い学校は、強いです。
もちろん、そうした見方・考え方は、他人に強制することではないでしょう。
それでも、私はそうした学校が少しでも増えてほしいと願っています。
教職員が「ウチの学校は、こうなんです。○○校って、いいでしょう!」と、他校の人に胸を張って堂々と言えるようになること…それが一つの理想だと思っています。