114 「○○校が、私の学校」と言えますか?…①

 私が教師になった頃、「○○先生の指導は、なぜ子供たちの心にすっと落ちるのだろう」「どうすれば、□□先生のように素敵なクラスをつくることができるのだろう」などと思いながら、目当ての先生やいろいろな先輩の指導法や学級づくり、授業の仕組み方を盗んでいました。(言葉は悪いですが、先輩の先生から「よいものは他の先生から盗みなさい」と、よく言われたものです)

 あなたにもきっと多かれ少なかれ、同じような(盗む)ことがあるのではないでしょうか。

 そういう目でいろいろな先生を見ていく中で、基本的にはよいところを盗む訳ですが、反対に、「これは、やりたくないな」「私は、これはしない」と思うこともありました。

 子供への指導や教育に直接関係はありませんが、私にはどうしても受け入れがたい違和感のある言葉があります。

 あくまで個人的な思いですが、なぜか学校という職場ではよく聞く言葉であり、実際多くの人が普通に使っています。

 それは、「この学校は、…」という言葉です。

 「え、そのぐらいの言葉で?」と思われたかもしれません。

 ただ私は、この30年一度も使ったことのない言葉です。「使わない」と決めていることもあります。

 ちなみに、「ウチ(の学校)は、…」「本校は、…」を使います。配属になった初日からです。(これをする人は私と同じで、きっと変わった人でしょう)

 「ウチの学校、ふせんはどこにありますか?」

 ある学校に赴任した初日に、事務員に尋ねました。通常は、この言い方こそ違和感がありますが、聞いた方は悪い気はしないはずです。

 要するに、いかに早くその職場に溶け込み、自分が働く拠点(学校)を自身の内側に落とし込めるか、ということだと思っています。

 子供たちや地域の方々の「母校愛」にも似た、「職場(学校)愛」と言えるかもしれません。

 自分の学校(現在所属する学校)に愛着をもてるか、好きと言えるかにもつながります。

 人が仕事をしていく上で、これはとても大切な要素だと思っています。

 教員は長いスパンで見た場合、いくつもの学校を渡り歩くのが当たり前で、1つ1つの学校はその過程における通過点に過ぎないという見方や感覚の人が多いのかもしれません。ただ、良いかどうかは別にして、私の感覚とは異なります。

 「配属になった職場・組織が、自分の職場・組織であり、その一員として力を尽くす」という意識が、私は強いのかもしれません。

 「○○校(配属になった学校)が、私の学校」という気持ちが強いのだと思います。(これまで異動希望をほとんど出してこなかったところにも、それが表れていると思います。異動に関しては、自然に任せていたようなところがあります)

 だから同じ学校で働く人間から「この学校は、…」という言葉を聞くと、何だか他人事のようで、「お客さんのような言い方だな(あなたも、本校の一員なのに…)」などと思い、寂しくなってしまうのです。(新しい学校に配属になって間もない頃はお客さんみたいなものなので、仕方がないですが…)

 どこか外側からの見方(当事者ではない、外から目線)という感じがして、好きになれないのです。

 自分の学校に愛着をもてる、好きと言える教師は、きっと幸せだと思います。

 そう思いませんか?だったら、そうなればいいんです。いや、「そうなる!」と自分で決めればいいんです。

 あなたは、「○○校が、私の学校」と堂々と言えますか…?

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学校教育
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