110 学校はこれからも存在していけるのか…

 あれは、2年前のことでした。

 最後に校長を務めた学校でコロナの感染が拡大しつつある中、迷った末に私は「クラブ活動を実施する」と決断し、教職員に伝えました。

 ところが、活動開始直前になって、一部の先生方が「クラブ活動を中止にしてほしい」と、校長室に直談判に来ました。この感染状況の下(低学年に広がり始めていました)で、「4~6年生が交流するクラブ活動を実施するなんて、信じられない」という訳です。

 私が実施を決断した理由は「以前から、子供たちがとても楽しみにしていた活動が急に断たれることによる落胆の大きさ」「先生方のこれまでの大変な準備や今後の活動への負担」「クラブ活動を実施したら感染が広がり、実施しなかったら広がらないという根拠や理由を誰も証明できないこと」などでした。

 それまで数多くの学校行事を中止し、子供たちの大切な思い出を減らしてしまったことへの残念な思いや無念が私の心に強くあり、それが影響したことは確かです。

 コロナを必要以上に怖れている先生方の様子も見て取れました。

 その時、ある先生はこんなふうにも言いました。

 「気持ちは分かりますが、まずは感染しない学校を目指すべきではないでしょうか…」

 私はその場では言いませんでしたが、心の中では全く違うことを思っていました。

 時間がない(クラブ活動が始まる直前だった)ため、「とにかくこの件についての苦情・クレーム、問い合わせは全て受けるから、私に電話をつないでほしい」と伝え、反対を押し切って実施を断行しました。(結果的には、感染は広がらず、苦情もありませんでした。たとえあったとしても、当然対応するつもりでした。黙って教頭先生が対応していたのかもしれませんが…)

 先ほどの話に戻りますが、私は最初から「感染しない学校」を目指すつもりはありませんでした。その考え方は、今も変わっていません。そんなことは無理だからです。

 私が目指したい(目指したかった)のは、「子供たちが感染しても、やっぱり学校(クラス)に行きたいと思える、安心できる学校(クラス)」です。

 「コロナにかかったから、学校に行きたくない」とか「クラスのみんなは、コロナの私のことをどう思っているのだろう」といった、感染した子供の不安な気持ちや心配などを払拭するような学校(クラス)をつくることこそが大切だと思っていたからです。

 実際私は、職員会議などでそういった趣旨の話を繰り返し伝えていました。

 今でこそ、コロナ騒動はかなり鎮静化していますが、子供たちにとって何が本当に良いことで必要なことなのかを、もっと議論していくべきだと思いました。

 「子供たち(私たちも)は、このコロナで多くの大きな犠牲を払ってきた」と私は思っています。

 それは無理なことにも関わらず、コロナを排除することばかりを考えてきたからだと思っています。

 だから、コロナと共生するためのあり方を模索していくことが大切だと思います。

 消すことのできないコロナを消そうとするのではなく、もっと人間が人間らしく生きていくためのあり方を目指していくべきではないかと…。もっとそちらの方に、考え方をシフトしていくべきだと思っています。(ずっと以前から)

 コロナが何者なのかがおおよそ分かった現在(といっても、ほぼ2年前には分かっていましたが…)、ただただ不安になり怖れるのではなく、人間らしく強く生きることこそが大切なのではないかと、私はずっと思ってきました。

 コロナの存在を排除するのでも、逃げるのでもなく、うまく共生しながら人が人として幸せに生きるあり方(ウェル・ビーイング)を皆で考えていきたいと思うのです。

 なぜ学校はあるのか、学校は何を学ぶ所なのか、どうして学校に人が集まってくるのか…そんな学校の存在意義にもつながっていく大切なことを、共に考えていきませんか。

 今のままでは、学校は私塾や習い事教室、小さなコミュニティに取って替わられ、その存在価値すらも失っていくかもしれません。

 学校が不要になる時代が来るかもしれないという危機感を抱かずにはいられない…そう思っているのは、私だけなのでしょうか。

★最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ応援クリックをお願いします!
★最後までお読みいただき、ありがとうございます。ぜひ応援クリックをお願いします!
学校教育
遊ぼう先生をフォローする
タイトルとURLをコピーしました