101 子供たちは、なぜ不登校になってしまうのか…①

 再び、得意(笑)の「喫緊の課題」シリーズです。

 教師であれば避けては通れない「不登校問題」について、改めて取り上げてみたいと思います。

 不登校児の急増とその対策は、以前から日本教育界全体の喫緊の課題です。

 多くの学校でじわじわと増加している状況にあり、担任教師を中心に、その対応に苦慮していることでしょう。

 正直に言って、国や文部科学省が金と人と物をかけ、腰を据えて抜本的な対策を打ち出していかないと解決は非常に困難だと思っています。(いじめや特別支援教育も同様に…)

 どの学校においても、不登校を生まない学校づくりは、まだまだこれからです。

 子供の気持ちを察し、無理をさせないように休ませたり、タイミングを見て登校刺激を与え、励ましたりするといった、これまでの対症療法的な方法ではなかなか解決できない段階にきている、と私は考えています。

 学校に行きたいと思っていても行けない子供や、登校することに拒否反応を起こしている子供が自らを奮い立たせ、前向きに課題を解決しようとパワーを出し続けることには、無理があります。

 また、その子の実態や状況にもよりますが、押したり引いたりという周りの人の力だけでは、解決が困難になっています。(以前は、親が一緒に登校したり、教師や友達が毎日その子の家に迎えに行ったりして、何とか解決できることもありました)

 これは、故障がないか点検し丁寧に整備した車が、ガソリンがなくて動かないのと似ています。

 ガソリン=心のエネルギーとします。つまり、車体(体のエネルギー・体の健康)が整備され、ガソリン(心のエネルギー・心の健康)がしっかりと満ちた状態になって初めて、車(児童)は前に進めるということです。

 また、最近は、車そのもの(児童本人)が、前に進めない原因や理由がよく分からない場合が多いです。

 どこかにぶつけて車体が故障しているからなのか、ガソリンが不足したり漏れたりしているからなのか、が分からないのです。

 どこをどう修理すればいいのか、ガソリンの量や漏れの問題なのかなど、全てが混沌としていて、よく分からないのです。本人だけでなく、周囲の人間にも…。

 私は、このような状態を、意識は「学校に行きたい、行かなければ」と思っているが、無意識は「学校に行きたくない、行かない方がよい」と感じている、と考えています。

 「意識」=思考・判断、知識・能力で、「無意識」=安全・安心、五感・イメージです。

 例えば、人は床に置いた平均台の上を渡ることができても、その平均台を10mの高さに設置すると、途端に渡ることができなくなるのと似ているのではないでしょうか。

 「意識」からすると、難しいことではなく割と簡単にできるはずなのに、「無意識」からすると、安全・安心を脅かされるため、本来できるはずのこともできなくなるという訳です。

 そして、「無意識」そのものは、自分ではなかなか感じ取ることができません。

 子供たちは、なぜ不登校になってしまうのか・・・?

 次回、さらにこの問題について考えていきましょう。

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学校教育
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